私たちの想い

室蘭の魅力発信の拠点に〜絵鞆小から始まる地域のリノベーション

楽しい室蘭を作り上げる拠点に

そんな古い建物を残して、どうするの?

説明会でそんな声をいただくことがあります。

私たちは、円形校舎が珍しいからただ残したいわけではありません。
室蘭の歴史や文化、自然などの、これまであまり注目されなかった魅力を発信し、これからの楽しい室蘭を作り上げる拠点にしたいのです。

形が異なる2棟が並ぶ希少性はもちろん重要ですが、教室棟は室蘭の魅力を深く知ってもらい発信する拠点に、体育館棟は(耐震改修が必要ですが)宿泊施設や、条件が整えばイベント会場などに使うなど、使い分けができます。

室蘭の歴史を発信する拠点

円形校舎は、高度経済成長期に造船・橋梁などの会社が活況を呈したこの地区で、主にその会社の社宅に住むたくさんの子どもたちが学んでいたところです。
この建物は、工業都市室蘭の歴史の証人です。

また、敷地内には縄文の貝塚があり、1892(明治25)年、絵鞆に暮らしていたアイヌが子弟の教育のために常盤学校分校として設立したというルーツを持ちます。
室蘭の歴史を発信する拠点にうってつけではないでしょうか。

ブラタモリでも注目された1000万年前の海底火山の断面と言われる断崖絶壁、アイヌ語地名が残る「名勝ピリカノカ絵鞆半島外海岸」にも近い立地。
この場所に、室蘭の魅力を深く知ることができる施設があったら、気軽に立ち寄れる道の駅、子どもが楽しめる水族館と並ぶ観光拠点になるでしょう

観光産業を見据えて

室蘭市は北海道唯一の重工業都市で、工場を中心としたまち、といっても過言ではありません。
しかし製造業を取り巻く状況はめまぐるしく変わっております。
実際、JXTG室蘭製造所が石油製品の製造を停止し、室蘭港の輸出額が減り続けるなど、市民にはどうしようもできない環境の変化が見られます。

夕張では炭鉱という産業がなくなり、ハコモノ観光にシフトしようとして無理を重ね、破綻しました。そこで地域の資源や歴史など、元からそこにあるものを生かした観光に注目が当たっており、北海道の近代産業遺産に注目した「炭鉄港」など新しい取り組みが生まれています。

観光の稼ぎは工場の生み出す富にはかないませんが、歴史や地形、自然や文化は、土地に根差すもの。持続可能性の高い資源です

もちろんこれからも、工場がまちの中心にあってほしいですが、私たちが将来のために今できることとして、地域資源を生かした観光産業を育てていきたいと思っています。

私は室蘭に来る前、勤務の関係で三重県伊勢市に3年ほど住みましたが、全国から観光客を迎える伊勢市は暮らしやすいまちで、仕事のほかになんの縁もなくても一生住んでもいいと思いました。

これから人手不足の時代、仕事があれば人がくるとは限りません。人材を誘致するためにも、地域の魅力を高め、楽しく暮らせる場所だということを発信したい。その一つの手段として、観光に対する取り組みは有効ではないかと思います。
ボルト人形「ボルタ」やてついく、炭鉄港の取り組みの初期などに関わり、室蘭は観光地としてのポテンシャルが高い、と外の人に言われ続けて約10年。そろそろポテンシャルだけではなく、観光地としてブレイクしたいものです…。

もちろん、そのよう取り組みは絵鞆小の円形校舎、しかも2棟でなければできない、ということではありませんが、これだけの魅力ある建物が観光重点地区に残っているのですから、ぜひ活用したい。

以上のような想いから、保存活用をしたいと考えています。

チャレンジさせていただく機会を

私たちも実際にこのような事業で稼いできたわけではないので、夢物語と言われればその通りでしょう。
しかし、新しいことはやってみないとわからないし、これまでさんざん(うまくいくかわからない)市民活動の立ち上げなどを支援してきた私が、成功するかどうかわからないからやらない、というのもおかしな話で、無謀かもしれないけれどもチャレンジをさせていただく機会をいただけたことは、今後につながることだと感謝しています。

どうぞ、引き続きご理解・ご協力をお願い申し上げます。

旧絵鞆小活用プロジェクト 代表 三木 真由美

結婚に伴い17年前に室蘭に移住。
10年前に開局したコミュニティFM「FMびゅー」設立にボランティアとして関わったのをきっかけに市民活動に巻き込まれ、現在はNPO法人室蘭NPO支援センター理事長兼市民活動センター長として、各種ご相談などに対応する仕事をしています。